インタビュー 2022.06.14

モーリー・ロバートソンさんが語る「心の筋肉」の鍛え方。

自動筆記で思考を整理する 

 こうして日米双方の教育をまんべんなく受けて、僕という人間がかたち作られたわけですね。あ、もちろんアタマだけでなく、体も動かしてきましたよ。

 中・高と柔道に打ち込みましたし、20代の頃はアメリカで合気道にも挑戦。一番長く続けているのはヨガですね。心体の関係性を重視する世界観に惹かれました。アメリカを含む西洋のキリスト教的な常識だと、心と体は別ものとして考えます。体は滅びても、心は審判の日まで生き続ける、みたいな。あくまで体というのは“克服するもの”なんですね。修道院の僧侶などが典型的ですが、性欲や食欲などをいかに超克して生きるか、というのを重視する。しかし一転、東洋ではこれが逆になります。巴紋(ともえもん)や太極図みたいに、心と体は互いを支え合うもの。ヨガでほぐした体で心を支え、心で瞑想することで、体がより器用に動かせるようになる、そんなイメージですね。特に日米を行き来しながら生きてきた僕にとって、自身の精神的なバランスを整えるために、ヨガはすごくマッチしていました。

 その意味では、30年以上続けている“自動筆記”も、僕なりの運動の一つと言えるかもしれません。僕は発想したり思考を整理する時、3〜4分かけて、半ばトランス状態で思いのままにノートに文字を書くという方法を採っているんです。心の蛇口を開きっぱなしにして、不適切なことも含めて無心でガーッと文字をノートに綴ることで、無意識下に眠っている言葉やアイデアをサーチするわけです。

 どうしてこんなことを始めたのかというと、1984年に『よくひとりぼっちだった』(文藝春秋)という自叙伝を執筆したのがきっかけ。これは「今までどこにもなかった自分だけの文体を作ろう」と意気込んで、必死に書き上げた一冊。結果、満足いく内容になったし、本はベストセラーにもなりました。しかし次に何か書こうとした時に、どうしたらいいかわからなくなっちゃった。燃え尽き症候群みたいな状態になっていたわけです。

 クリエイターが壁にぶつかると、昭和の私小説家のように次々と奇矯な行動をとって変化を生み出そうと足掻いたり、ヘミングウェイみたいに自殺したりと、崖っぷちに追い詰められることって多いですよね。「そんな結末は絶対イヤだ。どうしよう」と悩んでた時に、たまたま手に取ったのが『Writing Down the Bones』(邦題:『魂の文章術』)という本でした。著者はナタリー・ゴールドバーグというビート詩人で、禅のメディテーションの方法で自動筆記することを推奨する内容でした。

 いわく、「直感に従って文字を書くうちに、自分が本当にやりたいことや新たな表現が生まれてくる」と書いてあるんですが、実際にやると、これが想像以上にハード。何しろ、それまでに経験した最悪の記憶とか幼少期のトラウマにも目を背けずに、自分の感情を掘り起こす。これ、信じられないほど精神がすり減るんです。ちょうど1989年で、僕はメイン州のポートランドに滞在していました。そこでひと夏かけて、ひたすら毎日ノートに文字を書き連ねました。結果的には、行き詰まっていた文章表現のブレイクスルーが叶い、同時にフリースタイルで文字を書く習慣も身についた、というわけです。

 今ももちろん続けていますが、アメリカにいる時は日本語で、日本では英語で書くことが多いです。精神のバランスがとれるんですよね。ノートはすでに床が抜けるほど溜まっていますが、読み返すことはありません。時には過去の辛い記憶に向き合って、涙を流しながら書いてたりするから。ただ、これを続けることで、物事をすごく俯瞰的に捉えられるようになりましたね。それが今の仕事にも生きている気がします。

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