インタビュー 2023.03.07

電動車椅子サッカーの現役トップ選手・永岡真理さんに聞く。競技の魅力とは?

強豪・横浜クラッカーズに入団

 話を戻すと、8歳のときに横浜ラポールの体験会に参加していた同年代の子たちと一緒にチームを立ち上げました。毎週ワイワイとレクレーション的に練習していたんですが、徐々に日本代表メンバーに入りたいという夢が膨らんできて。そこで16歳のときに、同じ横浜ラポールを拠点にしている「横浜クラッカーズ」に入団し、本格的にこの競技に取り組むようになりました。

 横浜クラッカーズは4度の全国制覇を成し遂げているトップチーム。常に優勝を目指して真剣かつ全力で練習しています。普段の練習は週末に行いますが、休憩を挟みながらだいたい4時間ほど。内容としては、状況に応じた練習やセットプレー、そしてミニゲームなどですね。最近、チームで一番時間を割いているのは、コーナーキックを始めとするシチュエーション別の細かいセットプレーでしょうか。

 こうした練習の甲斐あって、2013年に開催された第一回アジア・太平洋・オセアニア選手権大会(APOカップ)に日本代表として出場でき、初優勝も経験しました。代表選手に女性で選ばれたのは日本人初のことだったので、とても嬉しかったですね。2019年には再び日本代表選手として同大会に出場。結果は準優勝でしたが、今年(2023年)10月にオーストラリアで開催予定のシドニーW杯への出場権獲得に貢献できたと思います。

 現在、世界的に見ると、電動車椅子サッカーの強豪国はアメリカや英国、フランスなど。そのあたりのトップチームになると、動きも反応も圧倒的にスピーディー。今後の自分の個人的な課題としては、そういう速度にも反応できる体幹や反射能力などをスキルアップしていくことかなと思っています。

スポーツを通じて得たものとは?

 冒頭でお話ししたとおり、私が患っているSMA(脊髄性筋萎縮症)は、徐々に筋力が低下していく病気です。そもそも、最初にSMAと診断された時、母はお医者さんから「小学校に上がるのは難しいでしょう」と言われたそうなんです。だから、残り少ない人生を楽しく過ごしてほしいと、電動車椅子サッカーの体験会もそうですが、きょうだいたちとの旅行など、いろんなことを体験させてくれたんですね。そのおかげか、逆にどんどん元気になってきて。

 中でも一番ラッキーだったのは、やっぱり電動車椅子サッカーに夢中になれたことでしょうね。この競技を始めてよかったな、と思うことの一つは、筋力低下をある程度、食い止められていることです。電動車椅子サッカーをやっていると、日常生活ではほとんど動かさない筋肉を使うんですね。

 例えば車椅子を回転させてボールを蹴ることで、まず体幹が鍛えられます。そして私は普段、拡声器が必要なほど肺活量が少ないうえ、首を後ろに回せないので、背後に選手がいるかどうかが視認できません。となると、連携が必要な場面では必然的に味方同士でなるべく大きな声を出してコミュニケーションをとり、意思疎通を図ることになります。だから肺活量もアップしましたし、おかげで普段の呼吸も楽になったと思いますね。

 また、電動車椅子サッカーを通じて、多くの出会いが生まれたことも大きいです。私が競技を始めて間もない2007年に日本で初めて電動車椅子サッカーのワールドカップが開催されました。そして2011年に開かれたフランスW杯の前に、日本代表チームの壮行会がこの横浜ラポールで開かれたんです。当日は壮行試合もありました。その時、私も対戦相手のチームの選手として出場していたんですが、そこにたまたまドキュメンタリー映画監督の中村和彦さんが来て観戦しておられて、試合後に「君の背中に炎が見えた。電動車椅子サッカーの映画を撮るのでぜひ撮影させてほしい」と打診されたんです。

 突然のことでかなり驚きましたが、この競技の普及につながるなら、という思いでご協力させていただくことに。結局、そこから6年半にわたる取材を経て、2019年に公開されたのが映画『蹴る』です。自分が出ているから言うわけじゃありませんが、これはかなり面白い作品です。電動車椅子サッカーの魅力と、いろんな選手たちの葛藤がしっかり描かれています。今はDVDも発売されているので、ぜひご覧いただければと思います。

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